日本の音楽シーンに多大な影響を与えた「チューリップ」
こんにちは!あなたはチューリップをご存じですか?
お花のチューリップではありませんよ。バンドのチューリップです。
素敵な曲を生み出したバンド「チューリップ」のお話しをしていきますね。
チューリップとは?
- ビートルズに大きな影響を受け、そのメロディラインやコーラスワークは洋楽ファンから多くの支持を集めたバンド
- チューリップのメンバー全員が作詞・作曲・ボーカルおよびコーラスを担当していることも特徴的で、このスタイルは伝統的に続いた。
- チューリップはライブバンドとしても知られ、そのパフォーマンスはファンから高い評価を受けた。
チューリップは日本の音楽シーンにおいて重要な位置となった。
チューリップの歴史
1968年12月、田中孝二をリーダーとし、西南学院大学在学中に 福岡市で結成されたザ・フォーシンガーズに、財津和夫が吉田彰、末広信幸と共に参加。このメンバーで第3回全日本ライト・ミュージック・コンテスト、フォーク部門に出場し、九州代表としてグランプリに進出。
1970年にザ・フォーシンガーズ解散。
その後財津は吉田・末広に宗田慎二を加えて正式に「チューリップ」を結成した。
1971年5人のメンバー財津、姫野、安部、上田、吉田で本格的に活動を開始。
1972年に後のユニバーサルミュージックから「魔法の黄色い靴」でメジャー・デビュー。
1973年に出した3枚目のシングル「心の旅」が5か月かけてレコード売上1位を記録し、一躍有名となった。
その後も「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年)、「虹とスニーカーの頃」(1979年)など数々の作品を輩出していく。
第二期、第三期、そして一旦解散となる。
1984年、オールウェイズを結成。
1989年、解散し、財津は本格的なソロ活動に突入。
1995年にビートルズが「フリー・アズ・ア・バード」をリリースしたことに触発された姫野が声をかけたことで、再結成に至る。
2007年〜2008年ファイナル・ツアーが開催された。
35年間の全国コンサート・ツアー活動に終止符を打つために行われた。
一旦は終了と銘打たれたバンド活動でしたが、2012年から2013年にかけ、40周年を記念して全国ツアーが開催されました。2012年、メジャー・デビュー40周年を記念したベスト盤発表とコンサートツアーを実施。
グループ内でメンバーの入れ替えがありながらも、財津は残り続けます。うまい演奏者を見つけるとすぐ自分のバンドに引き入れる財津は「バンド潰しの財津」と呼ばれていた。
最終的にはデビュー50周年を迎えるまでチューリップは続いた。
メジャー・デビュー50周年となる全国ツアーを行っている。
2022年4月に開始された「チューリップ50周年記念ツアー~the TULIP~」では、1997年の再結成時と同様、第2期までの楽曲を中心に演奏されている。
同年、財津に密着するドキュメンタリーがあったが、当時脱退したメンバーが、当時の心の内を語っている。
財津のプロ意識の強さからメンバーがついていけなかったこと、そのことにより財津がメンバーを傷つけていたことをなどを初めて知る。しかしメンバー脱退のほんとの理由は、プロでやっていく実力が財津ほどなく、将来への不安があったことを告げている。
しかし財津は、二人に対して「当時自分は生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ」と初めて思いを伝えたとのことです。腹を割って話をした後、わだかまりも解け、その後3人は初めて一緒にレコーディングした曲「私の小さな人生」を宗田のスタジオで鑑賞し、男の友情を確かめ合ったそうです。財津は、この話し合いをきっかけに「自分の中にあった嫌な部分がやっぱり振り返ってみてはっきりでてきたなと、すごく反省させられました。」とコメントしている。
チューリップの代表曲
- 「心の旅」1973年にリリースされ、大ヒットした。
- 「青春の影」1974年にリリースされ、多くのファンから愛された。
- 「サボテンの花」1975年にリリースされ、昭和を代表する名曲となった。
- 「虹とスニーカーの頃」1979年にリリースされ、代表曲として知られている。
「青春の影」、ホントに心に響く歌です。
とても綺麗なメロディーで、一度聞くと忘れられない曲と思います。
終わりに
メンバーの脱退、入れ替えなど転換期を幾度も迎え乗り越えてきたチューリップですが、財津を中心として、チューリップと言うバンドが継続されてきた。財津の強いプロ意識が50周年というチューリップの歴史を築き上げたことを物語っているように思えます。チューリップの強さを感じます。
メンバーのビートルズへの憧れの強さから、「尊敬するビートルズが行った会場では、コンサートをしたくない」という意向で「日本武道館では、コンサートは行わない」ことを最初明言していたとのことですが、1997年に再結成した際、グループとして初の武道館公演が行われた。
ビートルズを愛してきたメンバーだからこそ、ビートルズのような精神性を真似て行えたことかもしれませんね。財津を中心に、メンバーのビートルズへの強い憧れが、物理的に離れたメンバー達の心を結び続け、一つにしたのでしょうね。チューリップという歴史を築きあげてきたことも、それら理由の一つなのかなとも思わずにいられません。