日本の伝説的ロック歌手「尾崎豊」
こんにちは! 年代により、知ってる、知らない人がいるかと思いますが、あなたは尾崎豊という歌手をご存じでしょうか? 彼は1980年代に日本の音楽シーンを席巻したロック歌手で伝説的存在と言われた超有名歌手です。
彼の歌はその当時の一般の歌手の歌とは違い、多くの若者の不安や反抗心を表現していて、多くのファンを獲得しました。26歳のときに急死され、彼の人生はとても短いものでしたが、彼の歌や作曲は、今でも多くの人の心に影響を与えています。
今日は、そんな多くの人を魅了した尾崎豊の音楽と人生について紹介していきたいと思います。彼がどのようにして歌手になり、どんな曲を作り、どんな影響を与えたのかご紹介していきたいと思います。また、彼が直面した困難なども触れていきたいと思ってます。
尾崎豊のことが簡単に分かるエピソード
尾崎豊は、日本のシンガーソングライターで、1965年11月29日に東京都世田谷区で生まれました。11歳で埼玉へ転校した際に学校に馴染めず、不登校となりました。ちょうどこの時期にギターと出会い、有名人の曲を何度も練習するようになりました。17歳のときに音楽の世界に飛び込もうと決心し、オーディションを受けて見事に合格しました。
彼はメディアにおいて、様々な不祥事で取り上げられますが、それでも人気は衰えませんでした。26歳という若さで亡くなりましたが、その人気ぶりから、多くのファンが悲しみを拭えなかったようです。彼の音楽は、そのストレートな歌詞と情熱的な想いが深く込められています。彼の死後も、彼の音楽は多くのアーティストにカバーされ、幅広い支持を受け続けています。
尾崎豊は、1983年にシングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビューしました。これらの曲は、社会への反抗や反支配をテーマにした歌を多く含んでいるにも関わらず、10代の若者からカリスマ的な支持を受けました。
尾崎豊の数々の困難
彼は多くの困難を抱えていました。人気絶頂期の尾崎豊は、20歳になり方向性を見失い、突然無期限活動休止されてます。その時に単身渡米されています。その後は、覚醒剤取締法違反で逮捕され、再度完全復活されてます。
また大物女優との不倫関係もあったと報じられていた時期がありました。1991年末に母親が急死しています。その頃から交友関係も狭くなっていき、精神的状況が悪い方向へ向かっていったそうです。忙しさもあり、精神的に追い詰められた彼は自殺を図るなど混迷を深めていったようです。
大勢のファンを獲得した尾崎豊のヒット曲
音楽活動を始めたのは大学生の頃で、27歳の時にシングル「始まりの街」でメジャーデビューを果たしました。彼は1990年(平成2年)、2枚組アルバム『誕生』をリリースし、オリコン1位を記録しました。その後、口コミなどにより人気が高まっていきます。シングル「卒業」の中の歌詞が話題となりさらに人気を獲得していきます。
セカンドアルバム『回帰線』は大手音楽チャート1位を記録しました。10代最後の日にサードアルバム『壊れた扉から』を発売しヒットしています。この時期、人気絶頂を迎えてます。10代で凄いですよね。20代になってからの彼は、「自由」「反支配」といったものとは違い、「真実の愛」「罪」といったものを主題にした歌を多く作っています。
尾崎豊の人間性が分かる面白エピソード
彼が小学5年生の時に埼玉県へ転居し公立小学校へ通っています。しかし、転校先の学校に馴染めず、毎朝登校するふりをしていたようです。家を出たあと1時間ほどして家に帰り、実際には登校してなかったようです。そういった日が続いていて、半年間登校拒否が続いていたようです。いじめっ子に対して、なだめて止めていたそうです。
しかし、それでもやめない者もいたとか。その時は、そのいじめっ子に飛びかかっていたようです。中学生になり、生徒会副会長、文化祭実行委員長を務めています。優秀生徒になったんですね。しかし、喫煙により停学処分が下されています。高校在学中には喫煙やオートバイでの事故などで停学しています。さらに、高校3年生の時には渋谷で同級生らと飲酒し、同じクラスの女子生徒が一気飲みをした事によって急性アルコール中毒で搬送され、その直後には大学生のグループとパトカーが出動するほどの乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下されました。やんちゃな学生時代ですね。
陸上自衛隊少年工科学校の1次試験にも20倍の競争率を突破して合格しています。少年工科学校では髪を短くしなくてはいけないと知り、それを嫌った彼は青山学院高等部に進学することを決めています。ほんとにストレートな青年だったのですね。1986年の元旦に福岡国際センターで行われたライブで、彼は音楽活動を無期限停止し、渡米すると発表しています。
渡米前のラストライブが元旦であったようです。元旦に渡米を発表するって、凄いですね。さすが尾崎豊です。一般人の女性と結婚しました。奥さんの繁美さんが膀胱から大量出血したとき、彼は彼女を連れて入院しました。その際、「片時も離れたくない」と言って病院にギターを持って泊まり込んでしまい、看護師さんから笑われたこともあったようです。また、長男も生まれています。
最後に
尾崎豊の時代は、ちょうど校内暴力や学生による不良少年たちが横行していた時で、そういったことも重なり、人気に昇りつめたようです。しかし、ほんとに彼はカッコいいですね。歌もとても上手で素晴らしいです。10代にしてそんな歌詞が作れるとは、ただ者ではないですね。歌を聴いていても、神ってる感じがします。
「I LOVE YOU」の歌を歌う姿を見てもらえたら分かると思いますが、飾らない彼の生き方が伝わってきます。そして最後のお辞儀も誠実さが伝わってきてとても感動します。彼の人柄がこの動画にすべて現れてるのが感じられます。歌う言葉一つ一つのフレーズに、魂を込めて歌ってるのが伝わってきます。余談ですが、カラオケで尾崎豊の曲が流れると、ハッとします。場が一瞬で変わりますね。 彼の魂の込められた曲に、その場が浄化されてるのかもしれませんね。 若くして亡くなった尾崎豊ですが、その理由について様々に言われてます。
麻薬摂取によるものだとか、自殺説、他殺説、事故死説など、様々に言われてます。しかし、真相は明らかになっていないようです。今現在も明らかなことは、彼の曲が多くのファンに愛されているということです。またそのファンの多さからも、彼の人柄を感じさせます。彼の作曲した曲、彼の歌声がそれを物語っています。そんな彼も、大切な息子を残されています。