こんにちは! 寒いっすね~
日本は縦長に長い国土で、寒さも地域により違うかとは思います。 北海道は北国ですし、比にならない寒さかとは思いますが、それでも寒いのは寒い・・・ 江戸時代(西暦1603年~1868年までの265年間)は、地球全体が「小氷期」と呼ばれるミニ氷河期の時があり、その当時相当寒かったようです。

電気器具の無い江戸時代に、人々はどんな風に寒さを凌いでいたのか気になります。 今日はそんな江戸時代の人々の冬の寒さの乗り越え方について、衣・食・住の面からお話していきたいと思います。

ミニ氷河期を乗り越えた暖房器具(住まい偏)

江戸時代の暖房器具には主に以下の3つがありました。

◎火鉢

江戸時代の冬の暖房器具として最も一般的に使われました。 火鉢は陶磁器や金属や木材などでできた器具です。木炭や炭を燃やして部屋を暖めるもので、庶民から貴族まで幅広く利用されていました。火鉢にはさまざまな形状や素材があり、長火鉢や丸火鉢などがありました。
火鉢は暖房だけでなく、湯を沸かしたり、餅を焼いたりすることもできました。また手を温める程度の小さな丸火鉢から、一人鍋も楽しめる長火鉢まで、様々なタイプのものがありました。またサイズも小さなものは移動が可能で、火の元や暖をとるために、炭を入れて持ち運びができました。

◎炬燵(こたつ)

木炭や木炭を加工した炭団(たどん)を燃料とし、その上に木製の櫓(やぐら)を載せて、布団をかぶせたものでした。

◎温石(おんじゃく)と灰式懐炉(はいしきかいろ)

石を温めて布で包んで懐中する温石(おんじゃく)や、灰を燃焼させて容器に入れて使う灰式懐炉も使われていました。

◎行火(あんか)

移動式の暖房器具で、手足を温めるために使われました。小箱状の外囲いの中に土製の火入れを置き、その上に薄い布団などを掛けて覆う仕組みでした。外囲いには石、瓦、木が用いられ、火入れの熱源には、炭火や薪の燠火(燃えさし)などが利用されました。

◎囲炉裏(いろり)

主に農村の暖房器具で、床の一部を四角に切り抜き、灰を敷き詰めて薪(まき)を燃やすものでした。暖房としてだけではなく、煮炊きや夜間の照明にも使われました。囲炉裏で火を焚くことによって部屋中に暖かい空気が充満し、木材中の含水率を下げて腐食しにくくし、煙で家中が燻されることにより防虫性や防水性を高める効果もありました。 囲炉裏は備え付けの設備で、火鉢は持ち運んで移動できる道具というのが大きな違いですした。

ミニ氷河期を乗り越えた食べ物(食事編)

江戸時代になると都市部では、持ち運びできる七輪の普及によって鍋を「煮込みながら食べる」というスタイルが登場しました。 また、当時の鍋料理のメニューはバラエティに富んでおり、現在の湯豆腐のような「湯やっこ」や「どじょう鍋」、帆立貝などの貝殻の上で具材を焼く「貝焼き」など、今聞いても食べてみたいと思わせるような料理がたくさんあります。

また、江戸時代の鍋料理は、大人数で一つの大鍋をつつくのではなく、小さい鍋を1〜2人で食べるスタイルでした。このスタイルは「小鍋立て(こなべたて)」と呼ばれ、現代の鍋料理へと発展していきました。 さらに、江戸時代の冬のスイーツとしては焼き芋が人気でした。これらの食事は、寒い冬にこそおいしくなる温かい食事で、現代でもその影響を受けています。江戸時代の食事は、その時代の生活や文化を反映しており、現代の日本料理に大きな影響を与えています。

「小鍋立て」は、江戸時代後期に座敷料理として流行しました。都市部では囲炉裏が一般的ではなく、強い火力で調理する大鍋の煮込み料理は座敷では不都合だったため、火鉢や七輪で調理しやすいように小鍋が用いられました。

また、各自が自分の膳で食事をする文化があったため、鍋で作った料理は調理が終わってから取り分けられるものであり、火にかけたままの鍋を直箸でつつくことはしませんでした。現在の「みんなで鍋をつつく」形が普及したのは、卓袱(しっぽく)料理などの登場によって「ひとつの皿や鍋から料理をいただく」というスタイルが定着した、江戸末期から明治ごろと考えられています。このような背景から、「小鍋立て」は少人数、もしくは一人で食べるスタイルが主流となりました。


ミニ氷河期を乗り越えた衣(衣偏)

江戸時代の冬の衣服として着物の重ね着が一般的でした。寒さをしのぐためには、薄手の着物の上に重ね着をすることで保温効果を高めました。また、着物の下には肌着を着用し、体温を逃がさないようにしました。これらの方法により、江戸時代の人々は厳しい冬を乗り越えていました。 これらの方法により、江戸時代の人々は厳しい冬を乗り切っていました。

◎羽織

男性専用で、元は陣羽織から発生して防寒着の役割をもったものでした。また、半纏(はんてん)は、羽織の代わりに女性が定番とした防寒着で、元は職人や建築に従事する鳶(とび)の者の日常着でした。半纏(はんてん)は、表地と裏地の2枚の布からできています。また、間に綿を入れた半纏を「綿入れ半纏(わたいれはんてん)」と呼び、防寒着として着用されました

◎どてら

冬の部屋着として「どてら」が一般的でした。どてらは、綿を詰めた厚手の上着で、寒さをしのぐのに役立ちました。和装の上に着る防寒着で、くるぶしまである長めの丈であるところが半纏とは異なります。どてらは羽織りやすいように通常の着物よりも大きめに作られ、綿が入っていることが特徴です。

さて、ここで気になって着物は保温効果があるのか、調べてみました。

そうしたら、一定の保温効果があるとのことです。 正絹の着物は保温効果があり、肌着、長襦袢(なかじばん)、着物、帯と何枚も重ねて着ているので、洋服よりも暖かいとのことです。

また、帯による物理的な保温効果だけでなく、体幹の筋肉によっても冷えの防止につながり、免疫機能を高めるとも言われています。 ただし、着物は袖や裾が空いているので、風が通りやすい作りになっているとのことです。 着物、さすがですね。保温効果があるのみでなく、帯により、体幹を鍛えたりするのだそうですよ!


最後に

いかがでしたか? 江戸時代の人々の冬の寒さを乗り越える知恵、現代でもお役に立てそうでしょうか? 今は電気が普及されてる世の中なので、電源さえ繋げれば、直ぐに暖を取ることができます。 しかし、江戸時代に取っていた暖の取り方は、時間や手間はかかるものの、とても風情があり、体もゆっくりじわりじわりと温めていきながら、心もほっこり温かくなっていくようなものを感じさせられます。