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最近聞いた本田美奈子さんの歌声を聞いて、思わず涙がこぼれ落ちそうになりました。 彼女の歌声は心が洗われるような歌声であり、神ってると思いました。

You Tube動画で拝見したのですが、彼女はその歌声だけでなく、しなやかな手の動き、身体の動きはまさに、女神のように見えました。 女神って見たことないですが、そんな感じを受けました。これって、私だけでしょうか?今は亡くなられた美奈子さんですが、彼女の歌声は今も多くの人に愛されてます。

数年前にも私はテレビだか、彼女の歌う姿を観ていたのですが、その時はそれほど響かなかったような気がします。私が歳を重ねてやっと、本物を見極められるようになったからでしょうか?彼女の歌声がこれほどまで胸に響くとは思ってもいませんでした。今日はそんな神ような歌声を持ち、他にも女優、声楽家と様々な顔を持つ本田美奈子さんについて書いていきたいと思います。

壮絶な人生を歩んだ生涯

美奈子さんは、東京都の板橋区の産院で1967年7月31日に生まれてます。 2004年武道館では38度の熱があったにもかかわらず出演したようです。この頃から病気の兆候があったのではと言われてます。体調不良が続いたようです。しかし、そんな中でもコンサートに出演したり、収録に参加されてます。

翌年に白血病で緊急入院されてます。その後一時退院されるも、白血病患者支援のためのNPO法人など設立されてます。ほんとに彼女の力強い精神性が伝わってきます。 人としてほんとに素晴らしいです。人というか、神のような人ですね。自身の体も万全でないにも関わらず、人のご病気を心配され、支援してらっしゃいました。心の余裕も無いはずなのに、神のような心をお持ちでいらしたんですね。

2005年に亡くなられてます。

大変お若くして亡くなられました。 テレビでちらと、ご病気の様子は拝見しておりました。 歌手への素質があったにも関わらず落選 不思議なのが、その産まれた当時、ラジオの全国放送で、その日生まれた新生児を紹介するコーナーで取り上げられたそうです。

これも偶然ではなさそうですね。まさに有名になるのは生まれる前から決まってたのでしょうか。 幼い頃に埼玉県朝露氏に引っ越しされ、その後も生涯の半分をそこで過ごされてます。

歌手を夢見てた母親の影響で、美奈子さんも小さい頃から良く歌を歌っていたようです。中学3年生の時に『スタ―誕生』のオーディションを受けました。15歳の時に、出場した決戦大会では松田聖子の『ブルーエンジェル』の歌を歌ったそうです。しかしこの時、1社もプロダクションは獲得意思を示さず落選しました。1983年高校生の時に、スカウトされ、芸能界入りしました。


高校2年生の時に、『夢少女』という楽曲を歌ってグランプリを受賞。

このことがキッカケでレコードデビューとなりました。 ライバル多き時代デビュー 1985年東芝EMIからシングル『殺意のバカンス』でデビューしました。

この頃、斎藤由貴、大西結花、芳本美代子、井森美幸、中山美穂、南野洋子、森口博子、浅香唯、石野洋子、松本典子、おニャンコクラブと言って、女性アイドルグループと並ぶほどのデビューでした。 女性バンドも組んだ経験があります。

元々は演歌歌手希望であった美奈子さん、その意向を受けながら、『1986年のマリリン』という曲では個性的なスタイルで歌われてます。事務所に勧められて繰り返し観たマリリン・モンローやマドンナの衣装や振り付けの影響を受けて、そのスタイルになったようです。後々、コンサートで演歌をカバーしたりして歌っていたようです。

世界的有名人とのご縁が次々と

1986年ギタリストのゲイリー・ムーアから楽曲提供を受けてます。同年クイーンのコンサートに招かれています。『CRAZY NIGHTS/GORDEN DAYS』(クレイジー・ナイトス/ゴールデン・デイズ)というシングルCDは、1987年に発売された美奈子さんのシングルですが、プロデュースはイギリスのロックバンド、クィーンのギタリストであるブライアン・メイです。

このCDはなんと、世界20か国でリリースされてるようです。そしてクイーンは3億枚の作品を売り上げてる超有名ロックバンドです。 また美奈子さん属する芸能事務所ボンド企画がマイケル・ジャクソンの姉ラトーヤの来日公演のプロモートを手掛けた縁で、美奈子さんとジョイント公演が実現。

ジャクソンファミリーとも親しくなってます。

その後世界のマイケル・ジャクソンの自宅にも招待されたとのことです!凄すぎます!でも、お二人共通の歌への情熱や、奉仕活動において意気投合したのかもしれませんね。

オーディション15,000人の中から選ばれ、女優としての演技力が高く評価されてます 1990年ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約15,000人の中からヒロイン役として選ばれました。この作品では歌唱力、演技力共に高く評価され、1992年にゴールデン。アロー賞演劇新人賞を受賞しています。その後も『レ・ミゼラブル』で演技されてます。

クラシックにも力を入れてました。

2003年、初のクラシックアルバム『AVE MARIA』をリリースしてます。ソプラノ的な唱法で、クラシック曲に日本歌詞をつけて歌う、ユニークなスタイルで歌われてます。

知れば知るほど驚く人柄

演技においても、『私は舞台では、演じないからね。生きるからね。強く生きて見せるからね』とメッセージを伝えてたようです。 『ミス・サイゴン』の公演で、本番中に右足を轢かれる事故に遭いますがその後も、歌い切り、楽屋で運び込まれ、足の状態が知らされますが、その時も最後まで演じ切ろうとする姿があったようです。

重症でしたが、完治が3か月予定であるにも関わらず1か月で退院して復帰されました。幼い頃から地元を愛し、どんなに仕事の帰りが遅くても、母親の手料理を食べるのを習慣としていたそうです。気さくな人柄から近隣の人にも慕われ、亡くなった後も、記念碑が建設されるなど、彼女の人柄が伝わってきます。

人との絆を大切にしていて、

正月は休みを取り、年賀状2,000枚書き上げたそうです。お手製の年賀状には『心を込めて』と綴っていて、後のアルバム『心を込めて』のタイトルに採用されてます。

『小さな幸せ』という言葉をよく大切にされてたそうです。 最後に 女神、神の歌声の持ち主である本田美奈子さんはやはり、そのイメージ通りの人だった。美奈子さんの人柄をしっ かり知るまでは、こんな人だとは思ってもみませんでした。やはり、壮絶な人生と彼女の素晴らしい精神性が、その美しい歌声と、女神の彼女を作ったのでしょうね。

本田美奈子さん素晴らしい方です。今世紀残る素晴らしい女神さまですね。