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米津玄師については、皆さんもご存じだと思いますが、彼のYouTube登録者数が日本でもトップだということはご存じでしたでしょうか? その登録者数はなんと721万人を超えています。総再生回数は58億回を突破しており、その人気の高さが伺えます。ちなみに、彼の代表曲「Lemon」は、8億6千万回以上再生されているそうです。今日は、そんなSNSでも大人気の米津玄師について詳しく紹介していきます。

米津 玄師の凄さ

米津玄師は、日本のシンガーソングライターであり、音楽プロデューサー、イラストレーター、映像作家としても活躍しています。彼の多才さには驚かされますが、特にその若さでこれほど多くの才能を開花させている点が特筆に値します。彼は既に音楽業界のみならず、多岐にわたる分野でその名を知られています。

例えば、彼は『ROCKIN’ON JAPAN』という雑誌で「かいじゅうずかん」と題した連載を持っていたこともあります。また、最近ではユニクロとのコラボレーションで、楽曲とジャケットアートワークをデザインしており、これが世界各地のユニクロで発売される予定です。彼の作品が国内外で評価され、広く知られるようになっているのは、こうした活動の積み重ねによるものと言えるでしょう。


米津 玄師の経歴

米津玄師は1991年3月10日生まれ、2024年現在で33歳になります。出身は徳島県徳島市で、徳島県立徳島商業高等学校を卒業しています。彼が音楽活動を始めたのは2010年からで、彼の才能はすぐに多くの人々の目に留まりました。

2009年前後からは「ハチ」としてボカロP(ボーカロイドプロデューサー)としてインターネットを中心に活動し、その後2012年に本人名義のアルバム『diorama』でソロデビューを果たしました。2010年にはユニバーサルシグマからメジャーデビューし、その後も精力的に活動を続けています。

当初は漫画家を志していたこともあり、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校に通いながら「Ernst Eckmann」というバンドで活動していました。その中でオリジナル曲を作り、徐々にその音楽が注目されるようになりました。さらに、彼は自身のブログも開設し、そこでの活動が認められ、2009年には「enjoy. Award 2009 ダイヤモンド賞」を受賞しています。

2012年からは米津玄師として本名での活動を開始し、2013年5月29日にはユニバーサルシグマからシングル「サンタマリア」をリリースしてメジャーソロデビューを果たしました。その後もミュージックビデオの公開やYouTubeでの活動を通じて、登録者数を伸ばし、知名度を高めていきました。

彼のアルバム『BOOTLEG』(2017年発表)は、チャートインを続け大きな成功を収め、CDショップ大賞や第60回日本レコード大賞にて最高賞を獲得しています。特に「Lemon」は、史上初となるダウンロード300万セールス超えを記録し、2年連続でBillboard Japan Hot 100年間チャート首位を獲得するなど、彼の代表作となりました。

また、『STRAY SHEEP』は国内年間アルバムランキングで軒並み1位を獲得し、28冠に輝きました。さらに、世界ランキングでも日本人として最高位の7位を記録し、オリコン合算アルバムランキングではソロアーティスト史上初のダブルミリオンを達成。この成果により、第71回芸術選奨新人賞も受賞しています。

米津玄師は2020年に紅白歌合戦にも初出場しており、その後、作詞・作曲・編曲を手掛けたFoorinの「パプリカ」が第61回日本レコード大賞を受賞しました。

さらに、2022年に発表された「KICK BACK」は、日本人アーティストとして初めてSpotify Global 50にランクインし、2023年にはアメリカレコード協会から日本語詞楽曲として史上初のゴールド認定を受けました。これにより、米津は同協会がその年に活躍したアーティストを総括する「RIAA Class of 2023」に日本人として初めて選出されました。2023年3月29日には、5thアルバム『STRAY SHEEP』に収録されている「Lemon」のミュージックビデオの再生数が8億回を突破し、日本人アーティストの曲として史上最高の再生回数を更新しました。


米津玄師がヒットを生み出し続けた背景

米津玄師がこれほどまでに多くのヒットを生み出すことができた背景には、彼の独特な音楽的センスと行動力があります。

彼が小学5年生の時に、インターネットで流行していたFLASHアニメーションを見た際、その中で使用されていたBUMP OF CHICKENの楽曲に強く感銘を受けました。これがきっかけで音楽に対する興味が芽生え、中学3年生のころからオリジナル曲の制作を始めました。さらに、高校生時代に聴いていたRADWIMPSについては、「偉大な父親のような存在」と語るほどの影響を受けています。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやスピッツなどの邦ロックバンドも彼に影響を与えました。

18歳頃には平沢進の楽曲と出会い、その音楽性に大きな衝撃を受けたと言います。特に「MOTHER」という楽曲は「人生を変えた一曲」であると語っており、その後の彼の音楽活動に大きな影響を与えました。また、この時期にはトーキング・ヘッズやカニエ・ウェスト、ヴァンパイア・ウィークエンドなどの多様な音楽も聴くようになり、彼の音楽的な幅を広げるきっかけとなりました。

米津玄師は音楽だけでなく、多くの漫画作品からも影響を受けており、特に『NARUTO -ナルト-』をはじめとした少年ジャンプ作品や、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』には深く影響を受けています。彼はこれらの作品を18歳頃から読み返しており、特に『風の谷のナウシカ』は自身の死生観に大きな影響を与えたと語っています。米津玄師は宮崎駿監督を心から尊敬しており、その影響は彼の作品の中にも色濃く反映されています。

おとぎ話のような物語性の曲がニコニコ動画などで若いユーザーを中心に人気を博し、彼のメジャーデビュー以前の活動もすべて自らが手掛けていたことから、その多才さがさらに評価されました。作詞・作曲・編曲だけでなく、ミュージックビデオやジャケットデザインまでも自分で手掛けるという姿勢は、他のアーティストとは一線を画するものでした。

彼の楽曲は、不協和音になりかねないメロディラインや複雑なリズム構成を取り入れつつも、キャッチーさを損なわないという独特のスタイルが特徴です。米津玄師自身、「作曲においては他人と同じことをしていてもしょうがない」という考えを持っており、そのため常に新しい発想で音楽を作り上げています。

最後に

米津玄師の才能はどこまでも広がりを見せており、音楽だけでなく多くの分野でその名を轟かせています。彼は何でもこなすことができるアーティストであり、今後も世界的にその名が知られていくことでしょう。彼の今後の活躍にも大いに期待がかかります。