「万里の長城」の凄いお話し
こんにちは!あなたは、人類最大の建造物と言われてる万里の長城へ行ったことはありますか?万里の長城は、隣国の中国にありますが、建築に関して、とても興味深いものです。
万里の長城の建築材料は、石と石のすきまを埋める建材として、もち米を含む特殊なモルタルを使っているそうです。これが強固な万里の長城を維持してるのではと言われてます。
モルタルとはセメントのことです。他にも興味深い建築内容がありますので、詳しく書いていきたいと思います。
興味深い万里の長城と建築について
万里の長城の建設は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2000年にわたって行われました。万里の長城の全長は2万km以上で、東は河北省(かほくしょう)の山海関(さんかいかん)から西は甘粛省(かんしゅくしょう)の嘉峪関(かよくかん)まで続いています。
2万kmの長さってどのくらいかと言いますと、赤道周囲の約半分なのだそうです。と言っても、全く想像付かない長さなんですが、非常に長いことは確かな様ですね。万里の長城が作られた目的は、北からの遊牧民族からの侵攻を防ぐために建造されました。
そして、万里の長城を一体化したのは、中国を初めて統一した秦の始皇帝です。万里の長城は、外側の外長城と内側の内長城があり、二重の守りとなっています。
北方の遊民族が侵攻してくるのを迎撃するために、秦代の紀元前214年に始皇帝によって建設されました。長城は始皇帝によって建設されたと考えられていますが、実際にはその後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返され、現存の「万里の長城」の大部分は 1368年~1644年の明代(みんだい)に作られました。この現存する明代の長城線は秦代に比べて遥かに南へ後退しているのだそうです。
秦・漢代の長城は草原の中に建っているところが多いのだそうです。
奏・漢代の時代、日本は弥生時代にあたります。
これは奏の王朝が遊牧民族に対し優位に立ち、勢力圏を可能な限り北方へと広げようとしました。それに対し明代の長城は防衛を容易にするために中国本土に近いところに建設されています。とくに首都北京付近においてその防衛色は強く、北京付近の長城は北京から100 kmも離れていない頂上と頂上を結ぶ尾根に設けられています。
万里の長城は南北両勢力の境界線として機能していましたが、北方の遊牧民族も南方の農耕民族もお互いの物産を必要としていて、長城沿いには交易所がいくつも設けられ、盛んに取引が行われていたとのことです。しかしその交易はいつも上手くいっていたわけではなく、北方民族側の思うとおりにいかない場合もあったそうです。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返していたそうです。
万里の長城は建設後常に維持・利用されていたわけではなく、積極的に長城を建設・維持する王朝と、まったく長城防衛を行わない王朝の2種が存在し、各王朝の防衛戦略によって長城の位置も大きく変動しているそうです。
一つの長城と思ってましたが、そうではないのですね。
始皇帝による建設以後においては、秦(しん)・前漢(ぜんかん)・北魏(ほくぎ)・北斉(ほくせい)・隋(ずい)・金・明は大規模な長城建設を行いましたが、それ以外の諸王朝は、長城防衛をほとんど、あるいはまったく行わなかったそうです。
長城の建設位置に関しても、秦・前漢・金は中原から遠く離れた草原地帯に長城を建設したのに対し、北魏・北斉・明は中原に近い山岳地帯を中心に長城を建設したそうです。
これら歴代王朝による長城の遺跡は次々と発見されており、長城の長さや区間を特定、定義することは困難なものとなっているそうです。何だか、凄そうですね。まだ謎が多そうです。
万里の長城は、最初の方にも述べてますが、人類最大の建造物と言われてます。その長さから「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」とも言われています。
しかし、宇宙船から万里の長城の撮影に成功したものの、宇宙飛行士からは肉眼で、「万里の長城は見えなかった」「肉眼では見えなかった」と証言されています。実際の所、どうなんでしょうね。
世界遺産登録へ
万里の長城は1987年に世界遺産に登録されました。登録個所は八達嶺長城、山海関、嘉峪関の3か所となっています。観光客で混雑する万里の長城ですが、整備されていない「野長城」は、保護のために立ち入り禁止となっています。しかし、侵入する観光客が後を絶たず問題となっているようです。
万里の長城は中華人民共和国政府によって、重要な歴史的文化財として保護されていますが、あまりにも長大すぎるために、メンテナンスの手が行き届かず、観光用に整備された一部のほかは、かなりの部分が、明代に建設されて以降整備されることもなく、そのまま崩落するに任せている状態なのだそうです。確かに、それほど長すぎるとなると、メンテナンスは難航しますよね。
一方、修復の進んだ北京市周辺の長城は、観光名所として多くの観光客が押し寄せているのだとか。特に八達嶺長城(はったつれいちょうじょう)は、北京市から60 kmというアクセスの良さも相俟って、中国観光の目玉の一つとなっており、世界からも観光客が押し寄せる場所なのだそうです。こちらは予算などが立てられメンテナンス着々とも進んでいるのだそうです。
そしてその他の長城、特に中華人民共和国で、最も貧しい地域の1つである甘粛省(かんしゅくしょう)や陝西省(せんせいしょう)では、地元住民による建材の略奪の他、現地当局にまともな予算も専門家もいないことから、雑な修復がされる箇所も見られるのだそうです。
長城の破壊には約850万円以下の罰金または10年以下の禁錮刑の罰則が存在しているにもかかわらず、万里の長城の破壊は進行しつづけているのだそうです。
少し怖い万里の長城の伝説
少し怖い話になりますが、エンタメ感覚で読み進まれてください。
秦の時代の話になります。始皇帝の時、万里の長城の工事に動員されてしまった夫がいました。
妻の孟姜女(もうきじょ)は、夫が北の方の工事で寒いだろうと、夫に冬服を届けるために工事現場に向かいます。しかし、到着した時にはすでに夫は亡くなっていました。
悲しみに暮れていると、城壁の中に埋められていた夫の遺体が出てきたということです。
その後夫の後を追い、彼女も自ら海に命を投げてしまいます。
孟姜女の夫には不思議な力があり、人柱のような力があったとされてます。
普通の人間の1万人分に当たる1万人が連れて行かれたという話しもあるようです。
万里の長城にある寺院の正門には、108段の石段があります。寺院正面中央には、質素な衣を身にまとい、顔に憂いの色がある粘土で作られた孟姜女の像があります。殿の後ろには一つの大きな石があり、孟姜女がここで石に登って遠くを眺めながら夫を待ったと伝えられています。
何とも言えない気持ちになりますね。
万里の長城の山海関には孟姜女を祀った孟姜女廟(びょう)があるそうです。
伝説自体は中国各地に残っていて、話にもいくつかバリエーションがあります。
万里の長城建築の、無理な労働に駆り出された民衆の行き場のない怒りの気持ちがこの伝説には残っているのでは、とも言われてます。
終わりに
いかがでしたか?
万里の長城について、私は写真でしか分からなかった情報が、更に深く知れて良かったと思いました。
最近BSで中国ドラマが放映されてる時は見てますが、何か万里の長城に関するドラマがあると面白そうだなとも思いました。
調べてみたらありました!
万里の長城を舞台にしたアクション映画「グレートウォール」。マット・デイモンが主演を務めています。凶暴な怪物と誇り高き勇猛な戦士達との空前絶後の大戦争を描いています。怖そうです。これは万里の長城を知るキッカケには繋がらなそうですが・・・。でも面白ろそうな感じがします。これは最近の映画のようです。
中国ドラマの「万里の長城 (2020)」は、万里の長城についてじっくり見れそうです。これは日本語で見れるのかどうか分かりませんが。字幕にして見れるのかな?
今後また万里の長城について何か触れる機会があったらいいなと思いました。