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『源氏物語』と言ったら恋愛物語を思い浮かべる人は多いかと思います。

現在『光る君へ』など、最近大河ドラマにもなっている『源氏物語』ですが、これまで『源氏物語』をネタに、アニメ化や雑誌で取り上げられるなど、人気の高い物語となってます。

しかし、この高い人気を集めながらもその物語には幾つかの謎も残ります。

  • 『源氏物語』の作者である紫式部の生年や本名が不明。複数作者ではないかという説
  • 飢饉や疫病、地震や台風などの天変地異が頻発していた時期であるにも関わらず、災害のエピソードがほとんど描かれていないこと
  • 『源氏物語』には消された巻が存在するという説

今日はその謎を持つ『源氏物語』に関して、まだ知らない方のため、何となく知ってはいるけども、という方のために、お役に立つ情報をお届けしたいと思います。

『源氏物語』とは?

『源氏物語』は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説です。物語は全54話からなります。

文字にすると全編で100万文字くらいあり、400文字の原稿用紙に換算すると約2,000枚以上にもなるとのことです。あの小学校で渡される作文用紙がありますよね。あれがちょうど一枚400文字書けるようになってます。なのであの作文用紙の2,000枚以上なんですね。

凄い量ですね。

この物語が初めて出てきた年は、1008年(寛弘五年)です。

平安末期に「源氏物語絵巻」として絵画になりました。作者は紫式部です。

彼女は平安中期における和歌の名手の1人で、娘の大弐三位(だいにのさんみ)とともに「百人一首」の中の一首の歌人です。

源氏物語は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品と言われてます。貴族階級の全盛期だった平安中期に生き、宮仕えで宮中の内情にも日常的に接した紫式部が、当時の貴族社会を描いています。

『源氏物語』の作者について

作者は下級貴族出身の紫式部と言われていますが、複数いるとも言われてます。

ここでは作者は紫式部を前提としてご紹介していきます。

紫式部は幼少期より、日本と中国の歴史書、和歌、漢籍、漢詩の理解に優れていました。平安期では晩婚となる20代半ばすぎに藤原宣孝と結婚し一女をもうけています。結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めたのが『源氏物語』と言われてます。

紫式部は、一条天皇から日本書紀など漢文で書かれた日本の歴史書への見識を褒められ、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼びます。

当時、政治・行政など多くの公的文書は外国語である漢文で書かれていました。漢文が必須の男性貴族に対し、女性貴族には不要とされ、その読み書きができず漢詩や漢籍なども理解しない者が多かったといわれてます。

天皇の妃である中宮には白氏文集など漢詩の教養が要求され、その才に秀でた女房が教育にあたったっていました。一条天皇の代では、清少納言が中宮定子に、同じくその後、一条天皇の中宮になった彰子には紫式部が漢詩を教えました。

宮中に上がった紫式部は、この宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で、54の『源氏物語』を書き続けました。しかし、この原本は現存せず鎌倉初期の「藤原定家自筆本」が現存する最古の写本となって残っています。

源氏物語の内容

物語は、天皇の実子である主人公光源氏の栄光と没落、政治的欲望と権力闘争の数々、光源氏の栄華復活とその死後について描かれています。天皇の実子だが天皇になれないという宿命を幼くして父から与えられています。また、子と孫そして紫式部が自らを投影したとも思われる女性のことも描かれています。

全54帖からなる第1帖~第41帖は「光源氏」を軸に描かれ、第42帖~第54帖は「薫」を軸に描かれています。

」は、光源氏亡き後のいわゆる第三部「宇治十帖」の中心人物の一人です。彼は光源氏の次男とされていますが、実際には光源氏の妻が浮気してできた子どもである可能性が高いとされています。

薫は、生まれつき身体にえもいわれぬ芳香を帯びていたことから「薫」という名前で呼ばれています。彼は光源氏の正妻・女三宮の子とされていますが、実際の父親は柏木である可能性が高いとされています。

彼の人生は、光源氏の死後の『源氏物語』の中心を成す部分で、彼自身の恋愛や人間関係、そして彼が抱える出生の秘密などが描かれています。

『源氏物語』が恋愛のイメージを持つのは、この薫の物語の部分なんでしょうね。

執筆された11世紀初頭は国風文化の最盛期で、時代を反映し、紫式部は自身の和歌や他者の物語作品と同じく、源氏物語の記述には漢文ではなく平仮名を使用しているとのことです。

源氏物語の特徴として、和歌795首が詠み込まれていたり、男女間の事柄や話の核心部分なども、和歌によって婉曲に描かれる場面も多く、品位と描写を両立させた手法が取られています。これは、紫式部の歌人としての力量が全帖に渡り発揮されてることが伺えます。

和歌が理解できないと、話の展開自体が理解しづらい場面も少なくないとのことです。

また、直接的描写はほとんどなく、自然の変化や流行の事柄などに置き換えられてることが多く、それらに語らせるなどの手法で一定の品位を保ちながらも婉曲に描かれています。このことから、話の把握にはこの間接的描写への理解が要求されるようです。

『源氏物語』が、平安中期の政治、文化、常識、風習、社会制度に囲まれて生活する皇族や貴族階級を対象にして書かれていて、和歌の理解が必須の物語の内容となってるようです。

ちなみに源氏物語に描かれている和歌は795首です。

『源氏物語』と『竹取物語』の関係

『源氏物語』の中には「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」という一文があり、これは『竹取物語』を指しています。

『源氏物語』にはこのように、『竹取物語』についての記述が散らばっています。

それは紫式部が、竹取物語の影響を受けていたからではないかと言われています。

『竹取物語』は、9世紀後半から10世紀前半に成立している日本最古の物語といわれています。また『源氏物語』は、11世紀初頭に紫式部によって成立したものです。

国境を越え親しまれる『源氏物語』

150年経った後、源氏物語は、「絵」と「詞書(説明文)」から成る「源氏物語絵巻」として絵画化されました。現存する絵巻物のうち、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっています。また現在、『源氏物語』は30ヵ国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれています。

凄いですね。国宝になっていたなんて知りませんでした。

『源氏物語』の中の印象的な和歌

ここでは『源氏物語』の中の印象的な和歌をご紹介します。

  • 光源氏が初恋の相手・藤壺へ贈った

「物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや」

 意味ーあなたを想い、舞うこともやっとという私の心をご存知でしょうか。あなたへと振る袖の心を知らないわけではないでしょう。

  • 光源氏が若紫(紫の上)に出会ったときに贈った恋文

「面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど」

意味ー山桜のようなあなたの美しい面影が私の身から離れません。私の心の全てを置いて留めてきたのですが、夜風にて花が散るのではと心配になります。

  • 光源氏が明石の君へと詠んだ恋歌

「むつごとを 語りあはせむ 人もがな 憂き世の夢も なかばさむやと」

意味ーあなたと睦まじく語り合えることができたのなら、きっとこの憂き世の辛い夢も、半分ほどは醒めるのではないかと思います。

  • 病床の紫の上が詠んだ和歌とそれに対する返歌

「おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るゝ 萩の上露」

意味ー起きてはみるけれど、もうこの命が消えるのは、しばらくの間でしょう。ともすれば、風に乱れる萩の葉の上にある露のごとく、先は儚いものです。

 「ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな」

意味ーともすれば我先にと争うように消えていく露のような儚い世です。だからせめて、どちらかが遅れ残されたり、先立ってしまったりせず、一緒に消えたいと思っているのです。どうか一人残さないで欲しい。

  • 光源氏が亡くなった紫の上を想い詠んだ和歌

「大空を かよふまぼろし 夢にだに 見えこぬ魂(たま)の 行く方たづねよ」

意味ー 大空を自由に翔ける幻術士よ。夢にも姿の見えないあの人の魂の行方を捜してきておくれ。

終わりに

いかがでしたか?

『源氏物語』について少し理解深まりましたでしょうか?

テレビの影響からか、恋愛のイメージが強かった私ですが、貴族皇族の物語ということと、源氏、薫の人生について知りたくなりました。

大河ドラマの『光る君へ』もまだ実は見たことがないので、一度見てみたいなと思いました。

和歌についても、今のところ日常生活で全く和歌と縁の無い生活を送ってますが、今回和歌に触れ、いいなと思いました。和歌は奥行きがあって、余韻も残り、心揺さぶられる感じがしていいですね。