こんにちは! あなたは70歳を超え、ホノルルマラソンに出場した鳥越俊太郎をご存じですか? 何となく、当時テレビでその様子を観たような記憶がありますが、はっきりは覚えていません。 ホノルルマラソンは42.195Kmのフルマラソンですね。

鳥越俊太郎とは

彼は1940年に福岡県で生まれ、京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社しました。その後、TBSテレビや日本テレビなどの報道番組でキャスターやコメンテーターとして活躍しました。 1988年サンデー毎日の編集長やテレビ朝日の『ザ・スクープ』の司会などを務め、政治や社会問題について鋭く取材しました。 翌年の1989年に退職してからは、テレビ朝日の『ザ・スクープ』や『サンデージャングル』などでキャスターを務め、政治や社会問題について鋭く取材しました。

2003年からは関西大学の教授も務めました。 2005年に大腸がんと診断され、闘病生活を送りながらも、がん患者の支援活動にも取り組みました。 彼は、日本のジャーナリストであり、元東京都知事選挙の候補者です。 2016年、民進党や共産党などの野党や市民団体の支援を受けて、東京都知事選挙に出馬しました。 彼は自らの信念に基づいて社会に対して発言し続けていて、多くの人々から支持を得ています。

鳥越俊太郎の受賞した賞

  • 2001年『ザ・スクープ』で桶川女子大生ストーカー事件の報道に対して、日本記者クラブ賞を受賞しました。
  • 2004年『ザ・スクープ スペシャル』で警察の裏金疑惑の報道に対して、ギャラクシー賞報道活動部門大賞を受賞しました。
  • 2007年と2008年、文化人部門でダンディ大賞を2年連続で獲得しました。 これらの賞は、鳥越俊太郎のジャーナリズムの精神と実力を証明しています。 社会の問題に対して常に正面から取り組み、真実を追求し、世の中に影響を与える報道を行ってきたのですね。 鳥越俊太郎の著書 彼の著書の一部を掲載します。
  • 新あめりか漂流記』1984年に出版された、アメリカでの記者修業時代の体験記です。アメリカの政治や社会、文化について鋭い視点で分析しています。
  • 報道は欠陥商品と疑え』2002年に出版された、マスメディアの問題点を指摘するエッセイ集です。情報の真贋を見極めることの重要性や、報道のあり方について警鐘を鳴らしています。

鳥越俊太郎の有名な主な取材

桶川女子大生ストーカー殺人事件
1999年に埼玉県のJR桶川駅前で発生した、女子大生がストーカーに刺殺された事件です。鳥越俊太郎は、『ザ・スクープ』で独自取材を行い、警察の虚偽発表や怠慢を暴きました。この報道により、日本記者クラブ賞を受賞しました。

警察の裏金疑惑
2004年に、警察庁や各都道府県警察本部が、公金を私的に流用していた疑惑が発覚しました。鳥越俊太郎は、『ザ・スクープ スペシャル』でこの問題を追及し、ギャラクシー賞報道活動部門大賞を受賞しました。

北朝鮮による日本人拉致問題
2002年に、北朝鮮が日本人を拉致していたことを認め、一部の被害者が帰国しました。鳥越俊太郎は、北朝鮮に渡航し、よど号グループのメンバーや拉致被害者の家族と対談しました。この取材は、『「拉致疑惑」と帰国』という本にまとめられました。

鳥越俊太郎のプライベートと家族について

  • 父親は神経症で精神科の入退院を繰り返していたと言われます。彼は父親の苦しみを見て育ち、その影響でジャーナリストになったと語っています。
  • 1968年に見合いで鳥越博子と結婚しました。
  • 2005年に大腸がんと診断され、その後肺や肝臓にも転移しました。彼は闘病生活を送りながらも、がん患者の支援活動にも取り組みました。
  • 長女、鳥越あすかは一般人です。次女、鳥越さやかは歌手やラジオパーソナリティー、シャンソン歌手、タレント、女優として活動しています。

鳥越俊太郎の面白エピソードについて

  • 自分の家系図について誤解していたことがあります。NHKのドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』に出演したとき、祖先は戦国大名・大友宗麟の家臣であると紹介しました。しかし、実際にはその家系は鳥越俊太郎の隣家の鳥越本家のもので、鳥越俊太郎の家は江戸時代から米穀商を営んでいた別の家系でした。
  • 女性問題で何度もスキャンダルになっていますが、それを笑い話にすることもあります。自分の恋愛体質を「女性の匂いに敏感なので、女性の匂いがすると、すぐに恋に落ちてしまう」と表現したこともあります。
  • ジャーナリストとして、様々な事件や問題に取り組んできましたが、その中には危険なものもありました。たとえば、イラン・イラク戦争の取材中に、イラク軍の攻撃を受けて負傷したことがあります。また、警察の裏金疑惑を報道したときには、警察からの圧力や脅迫を受けたことがあります。

終わりに

現在は、健康法や歴史に関する本を執筆したり、自身の公式サイトやブログで発信したりしています。がん患者団体支援機構の3代目理事長を務めた後、現在は一般社団法人CSRプロジェクト会長を務めているようです。 鳥越俊太郎、命の危機と向き合いながらも真実を報道する姿には心打たれます。 日本に、彼のような真実を伝えることのできるジャーナリストはどれほどいるのでしょうか。

2010年8月には、食道癌を手術した桑田佳祐を「悲観することは一切ない。病気は生活の乱れを見直すいい機会だから、桑田さんも前より健康になれるはず」と激励したそうです。 70歳から週3回のジム通いを始め、「ハンデを持っていても走れる!ということを自分に証明しなきゃならない」として2012年のホノルルマラソン出場を目標にして、出場しました。大会では8時間ほどで完走されています。 ちゃんと自分の言ったことを行動に移せる方なのですね。

しかも、70歳からチャレンジするとは、彼の精神性の高さが伺えます。 一方で彼の発言や行動が、時に物議を醸すこともあります。 多くの批判も受けてきていると思います。 しかし、常に真実を追求し、社会に貢献することをしてきた彼の行動はほんとうに素晴らしいです。 彼は今後も、日本の社会や政治に影響を与える存在として注目されるでしょう。

日本のジャーナリズム界の重鎮として、多くの人々に尊敬されていきそうですね。 私も彼のように、少しでも嘘をつかない、いやいや、自分のことをちゃんと伝えれる人になりたいです。 常に正義感と情熱で行動している鳥越俊太郎に敬意を示します。