こんにちは! 今日は様々な顔を持つ石橋凌についてお話したいと思います。 彼は音楽家、俳優、歌手で、1978年にロックバンドARBのボーカリストとしてデビューしました。ロックバンドARBは、1977年に結成された日本のバンドで日本のロックシーンに多大な影響を与えたバンドです。 彼はそのボーカリストとして活動していました。 今日はそんな彼についてお話していきます。

石橋凌の生い立ちとデビューに至るまで

石橋凌は、1956年7月20日に福岡県久留米市で生まれました。5人兄弟の末っ子で、兄たちの影響で音楽に興味を持ちました。 中学1年生のときに父親が亡くなり、母親に育てられました。彼は高校卒業後、セミプロとして活動中は様々なアルバイトを転々としていて、ARB加入前はイタリアンレストランで働いていました。

その当時は、コックになることに気持ちが傾いていて、オーディションの話をもらうまではイタリアに留学し、料理修行をすると予定だったそうです。そのため、ピザは生地から作れるほどの腕前があるとのことです。

1977年にARBのオーディションを受けて合格し、ボーカリストとしてデビューしました。1985年には松田優作の監督作品『ア・ホーマンス』で俳優デビューし、以降は音楽と俳優の両方で活躍しています。 1978年にシングル「野良犬」でデビューしました。

石橋凌の音楽

彼は、自分の感性や思想、生き方を歌詞に込めています。例えば、以下のようなテーマがあります。 彼は、戦争や暴力に反対する姿勢を表明しています。代表曲には、「AFTER’45」「神風ダイアリー」などがあります。 また、彼は恋愛や家族、友情などの愛について歌っています。代表曲には、「カクテル・トゥナイト」「忘れてはイケナイ物語り」などがあります。 彼は音楽への情熱や音楽家としての自覚について歌っています。

その代表曲として、「指を鳴らせ!」「Rock’n Rose」などがあります。 石橋凌の音楽には、彼の人生や世界観が反映されたテーマがあります。 2011年にソロアルバム「表現者」で音楽活動を再開しました。 石橋凌は音楽家としても長いキャリアと多彩な表現力を持っています。

彼の音楽は、氷室京介や福山雅治など、数多くのミュージシャンに影響を与えているのだそうです。 また、彼の歌声は、独特の個性と魅力を持っていました。 彼は、高音から低音まで幅広い音域を持ち、力強くも優しくも歌い分けていたようです。

彼は、ロックやジャズ、ブルースなどの古典的な音楽に現代的なアレンジを加えた「ネオ・レトロ・ミュージック」を自称していて、彼の歌声はその音楽性を表現していました。 彼の歌声は、聴く者の耳を捉えて離さない神秘的な歌声と独特な発声技術を使っています。

石橋凌の多彩な才能

音楽だけでなく俳優としても活躍し、ほんとに多くの映画やドラマで多彩な役柄を演じています。 ロックバンドARBは活動停止となりましたが、現在彼は、ENTER the DEEに所属しています。 映画『ア・ホーマンス』、映画『キッズ・リターン』、映画『オーディション』、映画『マスカレード・ホテル』、ドラマ『あしたがあるから』などで演技し、彼は様々な賞を受賞しました。

キネマ旬報ベスト・テン 新人男優賞、報知映画賞 助演男優賞、ヨコハマ映画祭 主演男優賞、ヨコハマ映画祭 助演男優賞、日本映画批評家大賞 助演男優賞など数多くの賞を受賞した演技派男優です。 彼が俳優への才能を発揮したのは、音楽活動中の松田優作との出会いによってでした。

松田優作が監督する映画「ア・ホーマンス」に出演していますが、それまで音楽一本で演劇経験はほぼなかった石橋凌は、松田優作から厳しい指導を受けたのだそうです。その結果キネマ旬報新人男優賞を受賞しました。相当な厳しさだったと言われてます。

石橋凌の代表的な作詞・作曲

  • 「カクテル・トゥナイト」
    2002年にリリースされたソロシングルで、石橋凌の代表的なバラードです。

  • 「忘れてはイケナイ物語り」
    2002年にリリースされたソロシングルで、石橋凌の自伝的な歌詞が印象的です。

  • 「最後のことば」
    2006年にリリースされたソロアルバム「may Burn!」の収録曲で、ARBからの脱退を告げるメッセージソングです。

  • 「Rock’n Rose」
    石橋凌のソロアルバム「表現者」の収録曲で、異国の空に散った一輪の赤いバラを歌った楽曲です。

石橋凌とユニコーン

彼はユニコーンのバンドにも属していました。彼は、1998年にARBを再結成した際に、ベースとして加入したユニコーンのEBIと親交を深め、2009年にユニコーンのアルバム「ゾディアック」にゲストボーカルとして参加しました。 その後、2010年にユニコーンのメンバーとともに、石橋凌とユニコーンのコラボレーションユニット「石橋凌とユニコーン」を結成しました。

彼らは、2010年にシングル「男の黄昏」を、2011年にアルバム「石橋凌とユニコーン」をリリースしました。石橋凌とユニコーンは、音楽性や人柄が合っていたようです。 ユニコーンの代表曲には、「大迷惑」、「すばらしい日々」、「男の黄昏」などがあります。

日本だけでなく海外でも活躍している俳優石橋凌

彼は、英語が堪能だそうです。 アメリカ映画俳優組合にも所属しています。以下のような海外作品に出演しています。

  • 『THE JUON 呪怨』
    2004年に公開されたハリウッドリメイク版のホラー映画で、石橋凌は呪われた家の元所有者である竹内一男を演じました。

  • 『ローグ・アサシン』
    2007年に公開されたジェット・リーとジェイソン・ステイサムが共演したアクション映画で、石橋凌は日本のヤクザのボスである小林を演じました。

  • 『陰獣』
    2008年に公開されたバーベット・シュローダーが監督したサスペンス映画で、石橋凌は日本の刑事である松本を演じました。 様々なジャンルや役柄に挑戦する国際的な俳優ですね。また彼の演技は、海外で高い評価を得ているとのことです。

石橋凌の人生を左右した人物

石橋凌をARBに誘ったのは、岸川均(きしかわひとし)と岸部一徳(きしべいっとく)の二人です。岸川均は、地元のラジオ局のディレクターで、石橋凌がセミプロとして活動していたバンドの才能に惚れ込みました。岸部一徳は、ARBのギタリストで、石橋凌にボーカリストとしてのオーディションを受けるように強く勧めました。石橋凌は、岸川均と岸部一徳の二人を、大切な恩人として感謝しています。この二人の出会いがなかったら、ARBも無かったかもしれませんね。

もう一人、石橋凌の人生を左右した人は、松田優作です。石橋凌は、彼に俳優としての道を開いてもらった恩人として感謝しているそうです。石橋凌は、松田優作が監督・主演した映画『ア・ホーマンス』で初主演し、キネマ旬報新人男優賞を受賞しました。石橋凌は、松田優作の死後も彼の遺志を継いでハリウッドに挑戦しました。彼のことを石橋凌は、「運命の人」と呼んでいるそうです。

終わりに

石橋凌、彼の活動応援します! 戦争や暴力に反対する姿勢を表明してるのですよね。カッコいいです。それと彼は、「現代のデジタル化の波の中で、音色だけでなく、人間までもが薄っぺらくなってしまう」と危惧し、アナログレコードやジャズなどにこだわりを持っていたようです。

アナログを応援してるってところの考えが、私と似ている。って烏滸がましいですが。 自分の信念を貫く不器用な性格であったり、人の顔色を見ながら賢く生きることができなかった性格も、彼の素直な人柄を感じさせます。 とても素敵な方ですね。