競輪選手と言ったらこの選手
こんにちは! 漫画で、「弱虫ペダル」という漫画がありました。 これまで発売されてた全巻読み上げてました。なかなか面白かったです。 漫画家渡辺航による自転車競技を題材にした少年漫画で、主人公の小野田坂道が、オタク趣味のために自転車で通学していたことで、自転車競技部にスカウトされます。 ライバルや仲間と出会いながら、色々な大会に出場していく様子を描いた漫画です。
自転車競技の魅力や、青春の熱さを描いた感動的な作品で、自転車に興味がある方や、無くても誰でも楽しめる漫画です。 今日は漫画のご紹介、というわけではなく、自転車に関連する、中野浩一についてお話していきたいと思います。

中野浩一とは?
元競輪選手で自転車競技選手でした。 中野浩一は、競輪界のレジェンドと呼ばれるほどの偉大な選手でした。 デビュー戦から18連勝を達成したり、プロスポーツ史上初の年収1億円を達成したり、特別競輪やKEIRINグランプリなどのタイトルを多数獲得しました。
通算成績は1194戦633勝で、勝率は53.0%です。 また、自転車競技の世界選手権では、個人スプリントで10連覇を達成しました。 これはギネス世界記録として認定されています。凄いですね! 現在は、引退されてますが、競輪解説者やスポーツコメンテーターとして活躍しています。 また、日刊スポーツの麻雀大会で初代王者に輝いたり、自転車ロードレースチームの監督を務めたりしています。

中野浩一の生い立ちと家族構成
1955年11月14日生まれの福岡県久留米市出身です。 彼の奥さんは、歌手でタレントの中野尚美です。 彼女は1983年にアイドル歌手としてデビューしましたが、翌年に引退されてます。 中野浩一と中野尚美は、1986年に婚約発表し、1987年に結婚しました。お二人の間には子供さんはいません。
中野尚美は、1997年に中野浩一が出演していたCMソング「愛のRhapsody」を作詞し、歌手として復帰しました。その後も、NAOMIという名前で歌手やタレントとして活動しています。 また彼女は、元モーニング娘の加護亜依が所属する芸能事務所・アルカシェルの代表取締役としても活躍されています。 奥様もなかなかの有名人です。代表取締役をされたり、パワフルな方ですね。
中野浩一の凄い所
最初の方も彼の凄さは述べてますが、彼の凄いところはまだまだあります。 中野浩一さんは、2006年に公営競技及び競輪選手出身者では初の紫綬褒章を受章されました。 紫綬褒章は、科学技術分野における発明・発見や学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方を対象に授与される褒章です。
彼の場合、競輪選手としても自転車競技選手としても、世界的に活躍されました。特に、世界選手権自転車競技大会で個人スプリント10連覇を達成したことは、前人未到の偉業で、彼は自転車競技の発展に大きく貢献され、その功績が認められて、競輪選手出身者として初めて紫綬褒章を受章されました。
また、彼の最高速度は、正確な数値は公表されてはいないのですが、推定で、51.6km/hと言われています。 この速度は、中野浩一が自転車競技の世界選手権で10連覇を達成した際に計測されたものだそうです。

中野浩一の面白エピソード
彼についての面白エピソードもあります。
- 彼は、自転車競技の世界選手権で10連覇を達成した際に、その秘訣として「ペダリング」を挙げました。彼は、押すと引くのリズムにズレがないように、切り替えがスムーズなペダリングを身につけました。これは、陸上競技をしていた時の練習の賜物だと言われています。
- 彼は、フランスにツール・ド・フランスの取材に行ったとき、F1のサーキットを訪れレースの前の日に、サーキットでやる余興の自転車レースに参加しました。しかし、スタッフに負けてしまいました。次の日の地元新聞の1面で「ナカノコウイチ、素人に負ける」と書かれたそうです。
- 彼が1987年に中野尚美と結婚する、結婚式の前日には競輪のレースに出場し、優勝しました。その後、結婚式に間に合うようにヘリコプターで会場に向かいました。 いや、面白いですね。ペダリングについてはその分野を極めての達人の気づきだと思いますが、小さな感覚を大切にされたからこそ、気付いたのでしょう。 奥様との結婚式に間に合うように、ヘリコプターで向かうのも、カッコいいですね。お金があるからか、と思ってしまうのは私だけでしょうか。
中野浩一の選手への道と挑戦
彼は競輪選手になるために、たった3か月の練習で競輪学校に合格しました。その後も、毎日朝から晩まで自転車に乗り続けるというハードな練習をこなしました。 弱虫ペダルの主人公を思い出します。読んだことない方はご覧になってみてくださいね。
また世界選手権に出場するために、日本国内のトラックレースに参加するだけでなく、ヨーロッパのレースにも積極的に挑戦しました。その際に、現地の選手やコーチと交流し、自分の技術や戦略を磨きました。 海外でのレースに参加するのにも言葉を覚えないといけなかったり、ルールも違ってたりするのか、色々な苦労の様子が感じ取れます。

中野浩一の性格について
競輪選手としても自転車競技選手としても、非常に高いレベルで活躍しました。その背景には、彼の性格が大きく影響しているようです。 やはり成功者は頭脳でなくて、性格で成功するのでしょうね。
- 負けず嫌いで、常に勝利を目指していました。競輪や自転車競技のレースでは、常に先頭を走り、他の選手に追いつかせませんでした。何度も言いますが、弱虫ペダルが思い出されます。
- 自信家で、自分の力に絶対の自信を持っていました。自転車競技の世界選手権では、毎年出場することで自分の存在をアピールしました。
- 粘り強く、困難に立ち向かっていました。競輪選手としてデビューした当初は、他の選手から反感を買っていましたが、それに屈することなく勝ち続けました。 気さくで、人懐っこい一面もありました。 競輪選手として引退した後は、競輪解説者やスポーツコメンテーターとして活躍しました。 また、ラジオ番組のパーソナリティとしても、リスナーとの交流を楽しんでいます。 やはり成功される方は自分というものを持っていますね。
中野浩一のプライベート、引退について
なんと彼は、日刊スポーツの麻雀大会で初代王者に輝ています。 麻雀をやったことの無い私ですが、麻雀出来る人って、頭の良い感じがしてます。 彼の引退の理由は、高松宮杯競輪で優勝できなかったこと、自転車競技の世界選手権で11連覇を逃したことなどが挙げられています。 それでも引退後は、競輪解説者やスポーツコメンテーターとして活躍されていて、自転車業界においては現役ですね。
いかがでしたか? X(ツイッター)で彼と奥さんとの様子が公開されていて、仲睦まじい様子が伺えます。 競輪など自転車競技と言っても、やはり奥深いレースのようです。