人間界と化け物の世界を表現する映画「バケモノの子」
こんにちは! アニメーション映画でも、面白いものは沢山ありますね。 細田守監督によるアニメーション映画は『サマーウォーズ』、『未来のミライ』、『時をかける少女』など他にもありますが、今日は細田監督作品の中でも分かりやすい、シンプルなアニメーション映画をご紹介したいと思います。
細田監督の作品はアニメーションであるにかかわらず、大人向けに大切なことを訴えてる映画というのと、難しい所もあります。 それでも細田監督の作品は、どれも大好きなものばかりですが、この映画は、子供にも是非お勧めしたい映画で、生きることの意味について考えさせられます。生きることの意味と言っても、難しくはなく、ほんとにシンプルな映画なので、是非、まだご覧になってない方は観ていただきたい作品の一つです。
この映画の口コミ
映画『バケモノの子』についての口コミを見てみました。
「主人公と熊徹の関係が素晴らしく、人間とバケモノの異種愛が感動的」 「九太と熊徹が師弟として、親子として成長していく姿が印象的」 「心の闇を上手に表現しているが、多くの愛に支えられて一人前になっていく姿が印象的」 「中盤若干だれるが、泣けるシーンやあついシーンが多くみていて飽きることは無い」 「最初はお互い噛み合わない師弟が、共に過ごす内に親子になっていく様が好き」 「後半はちょっとわかりづらくて消化不良。けれど、熊徹の九太への愛にじんわりときた」
口コミを観てもお分かりのように、バケモノと人間の関係性について描かれた映画ということが直ぐ分かるかと思います。
人間界と化け物の世界を上手に描いた『バケモノの子』のあらすじ
映画『バケモノの子』は、人間界の渋谷とバケモノ界の渋天街を舞台に、親子の絆を描いた作品です。 母親の死をきっかけに親戚に引き取られそうになった少年・蓮が家を飛び出し、渋谷の街中を彷徨っているところから始まります。 彼は偶然遭遇した熊のような顔をした大男・熊徹(くまてつ)の後を追い、不思議な世界「渋天街」に迷い込んでしまいます。渋天街はバケモノたちが暮らす世界で、蓮は熊徹の弟子となり、九太(きゅうた)という名前を授けられます。
九太と熊徹は、人間と化け物でもあり、最初はいがみ合っていましたが、共に過ごすうちに父子のような絆が芽生えていきます。ご法度の、熊徹は人間である久太を弟子にして、九太は熊徹から武術を学び、逞しい青年に成長します。しかし、ある日、九太は偶然にも人間の世界に戻り、図書館で進学校に通う女子高生の楓と出会います。 楓と触れ合ううちに、九太は自分が本当にいるべき場所はどこなのかという迷いを抱くようになります。
彼は家を留守にしがちになり、熊徹とも顔を合わせればケンカになってしまいます。そんな中、バケモノ界を束ねる次の宗師を決める試合が行われ、熊徹は人格者で人望も厚い猪王山と対決することになります。 この物語は、九太と熊徹の成長と絆、そして九太が自分自身を見つめ直す旅を描いています。また、映画の中には世界的な名著などを引用した奥深いメッセージも隠されています。九太と熊徹の物語を通じて、親子の絆や人間の成長、そして自己の存在と向き合うことの大切さが描かれています。
何度か観ていっても面白みのある映画
先ほどお伝えした、「映画の中には世界的な名著などを引用した奥深いメッセージも隠されています」の内容です。 これは、1回この映画を観ただけでは分からないかなと思います。 1回目はざっと見て、2回目以降からは、さらに映画の詳細を場面で確認していくと、面白みがあると思います。 この映画の奥深さが分かります。 名著は、九太が図書館で手にした小説『白鯨』が重要なモチーフとなっています。 また、中島敦の小説『悟浄出世』も物語のベースになっています。
『白鯨』は、自分の片足を奪った白い巨大なマッコウクジラ「モビィ・ディック」に復讐しようとする船長エイハブの物語です。この小説は、九太が自己の闇と向き合い、それを乗り越えるための道筋を示す象徴として描かれています。 映画の中で、楓と九太が『白鯨』についての会話を交わします。楓は「主人公は自分の片足を奪った憎い鯨に復讐しようとしている。でも実は主人公は自分自身と戦っているんじゃないかな。」と語ります。これは、エイハブ船長が自分自身の闇と戦っているという解釈を示しています。
『悟浄出世』は、中国の古典『西遊記』の登場人物である沙悟浄(さごじょう)を主人公にした作品です。 物語は、中国の妖怪世界を舞台に、悟浄が「自分とは何か?」という悩みを抱え、その答えを探す旅が描かれています。悟浄は様々な妖怪の賢人たちに出会い、教えを請いますが、ついに納得する教えはありません。 その後、観音菩薩とその弟子が彼の前に現れ、啓示を与えます。
「ふさわしい場所に身を置き、ふさわしい働きに打ち込みなさい。身の程を知らない『何故』は今後一切捨てるのです」という言葉を信じてみる気になり、悟浄は三蔵法師一行に出会い、旅路の一行となったのです。
このように、この作品では、自己の闇と向き合い、それを乗り越えるための道筋を示す象徴として、名著が引用されています。九太の成長と自己探求の物語を深く描き出しています。 これら名著の中身、簡単に話を聴いただけでも凄いのですが、これら名著がヒントになっていたとは、驚きです。
九太が自己の闇と向き合い、それを乗り越えるための道筋を示す象徴として描かれています。この作品を通じて、「強さとは何か」を探す旅が描かれています。
この映画の見どころ
やはり、見どころは、バケモノ界を束ねる次の宗師を決める試合が行われ、熊徹は人格者で人望も厚い猪王山と対決するところですね。 この戦いの間での、久太の心情も見どころです。 バケモノと人間の心を通い合わせていく様子が、やはり、ジーンときます。 人は、心により動かされますし、その心を動かしていくのは、衝撃的なことがないと、動きません。 その衝撃的なことを見せてくれるこの映画のシーンで、共感する人も続出してるのではと思います。
現代人に是非見ていただきたい映画
社会の中に置かれている自分自身を重ねてしまう映画です。 バケモノと人間の出会いという、まったく縁のない二人が出会い、時を重ねていくことで、二人の間が近くなり、絆を深めていく映画。 現代社会においては考えられないようなことですが、もし、本当にそういった世界があるなら、いやあるかもと思わざるを得ないほど、上手に描かれている映画です。
最初はかなり不思議な師弟関係でしたが、九太が成長するにつれて、熊徹は九太に対する愛情を深め、九太にとっては父親のような存在になります。九太と熊徹は親子のような関係を築いていく、とてもシンプルな映画であるものの、どのように人は突き動かされて変わっていくのか、そこがとても必見で、現代人にとても大切なことを思い出させてくれるような映画です。
主人公、九太の名前に込められた意味が凄かった!
映画『バケモノの子』の主人公、九太の名前には深い意味が込められています。 彼の本名は蓮ですが、バケモノの世界では名を名乗らなかったため、バケモノである熊徹から「九太」という名前を授けられました。 その名前の由来は「9歳だから」というもので、一見すると適当な印象もありますが、2つの漢字を紐解くと深い意味が見えてきます。
「九」という数字は一桁の中で最大であり、屈曲して尽きるという意味合いの象形文字となっています。また、「太」は「泰」の略字とされ、非常に大きい様子から「太陽」、最も尊いもの、物事のはじめなどの意味を持ちます。 これらから「九太」は「これ以上ない太陽」、あるいは九を「剣」(神としての熊徹の化身)とする場合は、「太陽の剣」や「最も尊き剣」とも解釈できます。 九太が渋天街に新風を吹かせた存在、つまり「始まりの剣」と捉えると、感慨深いものがあります。 凄いですよね。 名前の由来を聞くだけで、鳥肌が立つ。
最後に
どうですか?まだご覧になってない方は観てみたいと思ったのではないでしょうか? 私もこの映画を観てからは息子に良い映画と思い、観せました。 感想は・・・聴いてませんが、恐らく印象に残ってると思われます。笑 それにしても書きながら、細田監督のこんなにもたくましく力強い意味がこの映画に秘められていたとは、改めて驚かされました。